我々の入部したころは、新入部員が結構いて、残念ながら完全には思い出せないが、入部の年の部員名簿を見ると、新入部員は15名名前が載っており、たぶん全部で27名前後の部員が冬合宿に参加したと思う。増築前は、エッセン部屋を除くと定員24名+フトン部屋(?)で、合宿の時にベッドとベッドの間に寝た覚えがあるといったかなり窮屈な状態であった。当時の白嶺荘は、図を見てもらうと分かるが、今の便所/倉庫の隣がすぐ小さな玄関兼スキー置き場であり、また乾燥室がないので食堂の中にスキー靴の棚などを置いてあり非常に雑然としていた。
そんなわけでかなり窮屈になってきたし、また完成後数年たち落ち着いたこともあって、収容人数増加をはかり、かつ、機能性アップをはかるため増築しようということになった、と思う。増築当時の白嶺荘管理人であったが、残念ながらもう十年以上も前の話であり、当時の資料も手元に無く、記憶も定かではない。(白嶺荘関係の資料は、最初の建設当時の資料も含めファイルし、次期管理人に申し送ったはずだが、そのファイルは今どこにあるのだろうか?)
あまり資料も無いので、部誌No. 10(昭和50年)の「ロッジ増築について」を以下引用する。
今年の夏、ついに念願のロッジ増築を行えることになった。この原稿を書いている時点では、まだ予定の段階で、これから夏までにどのくらいのお金が集まるかで、どの程度の工事が出来るかが決まってくる。だから、増築について書けと言われて少し困っている。しかし、いちおう現時点での「とらぬたぬきの皮算用」的な予定を書いてみたいと思う。
なお、この部誌が出来上がる頃には、もう工事が完了していると思う。その時には、工事内容の説明をしますが、その他の苦労話や裏話などは、来年の部誌に現管理人補佐の富沢君にでも書いてもらうことにします。工事予定は以上の通りです。しかし、どれだけお金が集まるかわからないので、どこまで工事が出来るかわかりません。しかし、最低@の増築だけは行います。そして出来ればAの外壁補修もやりたいと思っています。資金的にはギリギリかもしれませんが、白嶺荘を長持ちさせるためにも、ぜひともやりたいと思っています。
- 白嶺荘増築補修工事
1. 増築工事 面積23.58 m2 (7.15坪) 内容 玄関 乾燥室 作業所 予備室(屋根裏) 2. 補修工事 (イ)外壁補修工事 (ロ)給湯工事 (ハ)その他 <概算見積>(あくまでも概算)
@増築工事 250万円 A外壁補修工事 80万円 B給湯工事 50万円 Cその他 20万円 合計 400万円 <資金計画>
- あくまでも、とらぬたぬきの皮算用です。
現役積立金 170万円 OB寄付金 130万円 合計 300万円 それぞれ20万円程度の幅はあると思います。
なお、6月1日現在、ご協力いただいたOBの方は、18名、59万円です。
ご協力ありがとうございました。<工事内容>
- @ 既存の玄関部は、後日のとりこわしを前提としているため、非常に狭いものです。又、作業及び乾燥はすべて食堂内で行われているため、非常にロッジ内が雑然としています。スキー置き場、作業所、乾燥室は、スキー部の合宿所としては必要不可欠なものなのですが、前回は資金不足で中途半端なものしかできないため見送られました。そこで、この増築は、長年の懸念となっていました。なお、予備室として、屋根裏部屋を作ります。
A 外壁はラワンの羽目板になっていますが、かなり痛みが激しいので、耐水性、耐久性の優れたアスファルトシングル貼に取り替える予定です。
B 現在プロパンガスのボイラーを使用していますが、容量的にも小さく維持費が高くついています。そこで安全で維持費の安い深夜電力のボイラーに取り替える予定です。
Bの給湯工事は、おそらく無理でしょう。ただ、炊事、皿洗い用に、小型給湯器が欲しいと思っています。(今年卒業された方々の恒例の卒業記念品としていただけるのではないかと、現役部員一同期待しているのですが)
今回出来ない工事は、何年先になるかわからないが次回の工事にまかせたいと思う。
おわりに、ぼくが増築の仕事をしていて強く感じたことを一つ書きたいと思う。それは「準備は早めに」、「仕掛かりは早めに」ということです。今回は、一年延期されたために時間は十分あったはずなのに、結局最後は、ドタバタになってしまったような気がする。たとえば、資金調達の方法の一つとして、運動会に融資をたのもうとしたのですが、(形として運動会の財産である白嶺荘の修理費を出して欲しい。ただし、その費用に相当する金額を、あとでスキー部から運動会に寄付する)運動会の理事会直前になってから動き始めたため、準備不足で結局何も出来なかったし、茅部長にも多大なご迷惑をかけてしまった。もっとも事前に十分時間をかけて根回しをしても、予算的に無理だったかもしれない。(しかし、ゴルフ部の練習場は、数年前から運動して、かなりの部分を、運動会から出してもらって作ったという話だ)
とにかく最近のスキー部は、だれかがやってくれるだろうと、みんなが思っているため、なかなか仕事が始まらない傾向がある。自分達以外に、だれもする人がいないのに、誰かがやってくれるだろうと考え、自分は、少しでも楽をしようと考えているみたいだ。こんなことだから、戦績もふるわないのではないかと思う。
少し話がズレてきてしまったので、このへんでやめます。最後に、まだ完成しておりませんが、増築にご協力いただきました方々、茅部長、設計をしていただくなど今回も中心になって動いていただいた植木さん、資金調達の中心になっていただいた東雪会幹事のみなさま方、そして、お金を貸していただいたOBのみなさま方に深く感謝いたします。どうもありがとうございました。
結局、予定通りすべての工事を実施した。これ以上のことは残念ながらあまり詳しく覚えていないし、次の年の部誌を見ても「苦労話」や「裏話」が載っていない。ただ、何回かの打ち合わせで、OBからの「寄付」という形にするか「貸付」という形にするかでかなりもめて、「どうしてこんなことにこだわるのかな」と思ったり、(結局「OBから借金」するという形になった)工事費を安くするため増築部分の基礎用の溝掘り工事を夏に「増築合宿」として行ったりした思い出がある。
その後、せっかく増築したのに部員が減ってしまい、かなり余裕のある白嶺荘になってしまったことや、六大/七大戦が毎年野沢温泉開催となり、その他の大会もほとんど栂池で開催されないので、白嶺荘での合宿日数が減少してしまったことは非常に残念なことである。栂池がアンノン族で有名になり、リフトも整備され一般客も増えてきたので練習しづらい環境になっては来ているだろうが、安く合宿出来るベースキャンプがあることは、計り知れないメリットがあると思う。OBになっても、ふと思い立ったときに予約なしで泊まれる場所があるのは、別荘を持っているようで、かなり便利である。(もっとも、かなりきたないので、友人/彼女と一緒に来ようとはなかなか思わないが)いずれにしても、ぶらりと白嶺荘に遊びにきて、白嶺記を読みながら長い夜を過ごしていると、学生の頃を色々と思い出し、センチメンタルな気分になってくる。
その後、食堂等の内装、便所関係、水道凍結防止策等の手直しを行ってきてはいるが、最近白嶺荘に行って見ると食堂の床とか、前回補修しなかった側の外壁とかがさらに老朽化が進んできていた。また、それ以外の場所もかなり老朽化し、かつ汚くなっていた。(優秀な管理人だったT.K.氏やS.S.氏のような人間がまた現れないかと期待している)常に手入れをしていかなくては、ただでさえ人の居ない時期の方が長い雪国の(かつ安普請の?)小屋などすぐに朽ち果ててしまう。常に手入れを怠らずきれいに使用してほしい。現役部員は入部の時から既に白嶺荘が存在し、その有り難みがよくわかっていないようにも思う。多くのOBの血と汗の結晶の白嶺荘を朽ち果てさせず、いつまでも立派な、そして役に立っている「白嶺荘」にしていってほしいと思う。
なお、OBから借りたお金は、最初の頃はスキーバスと部員のバイト金から返していたが、昭和57年からはOBの寄付金(部誌代?)と部員のバイト金からOBにお金を返すという、やや変則的な状態であったが、やっと昭和60年に完済することが出来た。ところで、最近の部誌の会計報告を読んでいると現在のバイト金は一人一万円らしい。我々の時は一人二万円であり、増築を控えていたとはいえ、物価の上昇や、アルバイトのペイの上昇を考えると少し現役を甘やかしすぎたかなとも思う。また、スキー部会計報告を見ていると東雪会援助金以上の繰越金を出している。すこし、OBの寄付のあり方を考える必要があるかもしれない。(使い方は現役に任せているが、もう少し東雪会の方で口出しする必要があるのでは・・・)
いずれにしても、大がかりな第二次補修をすべき時期に来てはいると思う。ただ、前掲の部誌にも書いたように、大がかりな補修をどうするかは、現在使用している部員が中心になってまず企画・提案すべきことだと思う。具体的には、補修準備金会計を早急にもうけて(OBの寄付金はすべてこれに当てたらどうか)お金を積み立てるとともに、何をいつ補修するか計画を立てるべきだと思う。(OBから与えられたものでは、有り難みがわかない)その時には、OBとして微力ながら応援させていただくつもりである。
最後に、前回の増築にご協力下さった皆様方に改めて深く感謝するとともに、OBの数も増えたことでもあるし、次の大補修・増築の際にも是非ご協力をお願いいたします。