事務局から見た、『白嶺荘再建記』
深田 創(S55)
  1. It all started...
  2. A Long and Winding Road.
  3. This is the time!
  4. On and On and On

  5.  白嶺荘カビ事件と備品脱出作戦
     備品調達大作戦
     備品搬入
  6. 最後に
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1. "It all started …"

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 事の始まりは5年前の夏、平成3年7月のことでした。

 植木さんから召集状(資料@)を戴きました。黒岩・植木・小笠原・細井・金崎と云った雲上人に混じり小屋の建て替えを検討するのでお前も参集せよとのこと。議論は小屋の建て替えのスタディで、山口先生から本人も資金提供するからぜひやろうとの強い要望も頂いている様子。

 不動産会社勤務だからと云うことでメンバーに加えていただいたのですが、実は昭和58年に高校のスキー部で合宿所を建て替えた経験があり、呼ばれた以上は意見の一つも吐かねばと用意したのが資料Aです。

 建て替えの最大の問題は資金集めです。これは小屋自身に自力で借金を返していけるような収益力の裏付けがない限り、到底うまくいきません。当時の小屋は、宿泊費が1泊500円、年間収入は50〜60万円ですから、光熱費などの維持費を出すと後はいくらも残りません。これに対し高校の合宿所は、宿泊費が2400〜3000円、年間収入は400万円、維持費差引後の利益で230万円を挙げています。宿泊人数がほぼ同じなのにも拘わらず、経営にこれだけの差が生じているのです。小屋の運営改善抜きでは、白嶺荘の再建はありえません。

 さて会議では、小屋の建て替えは今回が二度とないチャンスだと判断、11月の総会で再建事業開始を提起することとしました。
 このためのワーキンググループとして、金崎さんをヘッドとする若手OBからなるチームが作られましたが、これが後に白嶺荘再建委員会となりました。当時のチームのメンバーは、金崎さんの他に深田・白石・上林が中心で、これに比留間・江守・佐藤(現役)・野口等が何かと協力してくれました。


2. "A Long and Winding Road."
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 平成3年から5年にかけての3年間は、「三歩進んで二歩下がり」状態でした。

 3年11月の総会では30名を超すOBを集め、無事、再建計画推進にGOを頂きました。

 しかし集金計画の細部を詰める幹事会では議論百出、4年1月の幹事会でOBから一律10万円の寄付を募ることには同意いただいたものの、議論の積み残しが生じ5月に再度幹事会を開く始末。

 幹事会に出席いただいたOB諸氏の皆さん、真剣なご討議ありがとうございました。

 この段階での最大の課題は、OBの意識を現実論へ傾けていくことでした。

 旧白嶺荘では資金のかなりが企業寄付でまかなわれたというラッキーな歴史が逆に災いし、再建計画の発案当初は、お金はどこかから湧いてくると云う楽観論がOB間に幅をきかせていました。

 また建物の仕様も、折角建てるのだからとどんどんグレードアップし、スタート時の予算はなんと1億円でした。

 1泊500円しか取らないような施設になぜ1億円もかけるのか?

 1億円もどうやって集めるのか?

 意識改革は、こう云った素朴な問題提起から始まりました。そして再建の三原則として

  1. 資金は、OBによる自力調達(寄付+借金)を基本とする
  2. 予算は、再建後の収益で返済できる範囲内とする
  3. 返済が順調に進むよう、小屋の運営を再編成する
OBの皆さんに理解して頂くよう努力しました。

 当時の幹事会での検討資料を資料Bとして添付しましたので、ご興味のある方は読んでみて下さい。いろいろ考えていたのだなあと云うことがお判り頂けるかと思います。

 この時期は、山口先生退官セレモニーの時期でもありました。

 先生の退官記念パーティーは、4年11月9日に、スキー部員を含め200名を超す大人数が集まり盛大に執り行われました(資料C, D, E参照)。席上、先生から黒岩会長に先生の退職金から500万円が贈られています(贈答品目録、資料F)。

 山口先生、ありがとうございました。

 平成5年は停滞の年でした。

 資金面では、山口先生寄付とOBの一律10万円で1800万円は集めたものの、次の集金の手立て進まず膠着状態。

 工事予算面では、地元業者とは予算で折り合わず、「ワラ」をも掴む思いで三重県にまで見に行った新型ログハウスはやはり「ワラ」で終わってしまい、予定の4000万円ではとても立ちそうもなく、まさに八方塞がりの状態でした。

 今振り返ってみると、この平成5年が再建事業の一番つらかった時期でした。

 しかし何回もしつこく会合を繰り返しているうちに、これまでなんとなく疎遠であったOB同士の交流が深まり、例えば私の前後の代では年2回皆でゴルフをやるようになりました。東雪会全体のまとまりがぐんと良くなって来たのが、この後になっておおいに役立ちました。


3. "This is the time!"
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 平成5年年末、再建委員会では資金問題の打開策としOBからの大口借入に踏み切ることとしました。

 総予算が、どう見ても4000万円は超すのに対し、手持ちは1800万円、再度OBから一律5〜10万円程度の追加寄付を集めても500万円程度にしかならず、これではお話になりません。

 そこで300万円・100万円クラスの大口出資者を募り、一挙に問題を解決しようと云うのですが、この場合、言い出しっぺも大口出資者にならざるを得ないので、再建委員会でも慎重な取り扱いをしていたのです。しかし事ここに至ってはこれしかないとの結論に落ち着き、資料Gにある檄文を植木さんが書き、平成6年1月・6月・7月の3回に分けてOBの各代と行った話し合いでは良い回答を得ることが出来、ここでなんとか3700万円まで目途を付けることが出来ました。

 平成6年は、資金面では話が進んだものの、工事計画の方ではログハウスに代わる妙案が浮かばず、翌年春の植木さんカナダ視察旅行まではどうなるやら見当も付きませんでした。

 その一方で11月の総会では、現役支援の一環として育英金を設立するなど、OB会のあり方が問われる年でもありました。

 そして明けて平成7年4月、植木さんより突然のFAX(資料H)。なんとカナダにまで安い輸入住宅を探しに行くとのこと。ちょうどこの頃、自分の会社でも輸入住宅の将来性に目を付けスタディしていたところだったので二つ返事でOKしました。
 視察旅行の結果 INTERIOR CRAFT 社と出会うことが出来、ここでようやく資金に見合った工事予算で、しかも後代まで自慢できるような仕様の新白嶺荘のアウトラインが出来上がりました。(資料I:図面資料J:INTERIOR CRAFT 社との契約書A, B)


4. "On and On and On"
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 資金・工事両面の方針が定まった平成7年5月からは、工事をシーズンインまでに間に合わせるべく時間との闘いが始まります。

 しかしこの段階では、主役は工事中は監督の植木・野口両氏、竣工後は小室委員長をヘッドとする運営委員会の面々で、事務局は脇役に徹することになります。

 そこでここでは全体の流れを追うよりは、エピソードをいくつか拾ってみたいと思います。


(1) 白嶺荘カビ事件と備品脱出作戦

 小屋の解体を翌月に控え、そろそろ小屋の備品類でまだ使える物はモンモンに預かってもらおうなどと東京で皮算用しているところへ、夏合宿中の現役から緊急電話が入りました。

 「小屋中カビだらけで使いものになりません」

 聞くと、7月の大雨(栂池でも土砂崩れがありました)の際停電になったのが原因で冷蔵庫の電気が切れてしまい、冷蔵庫からカビが大発生したとのこと。幸い被害は1階に留まり、2階の布団類はセーフであるとのことだが、このときは今ある備品は全滅したと思いましたねぇ。

 あけて8月、それでも使える物だけでも救い出そうと、八田・神谷両君を従え小屋へ向かいました。小屋を明けてみると確かにカビ臭い物の、現役が懸命に掃除をしてくれたおかげで布団の一部と洗濯機・オーディオなどは「生きて」ました。現役の諸君、よくやった!

 しかし、さすがに食器・調理用具の類は全滅、諸悪の元凶であった冷蔵庫は既に再起不能と判断され始末されてしまいました。

 結局、モンモンの別荘をお借りして布団等かなりの備品を避難させたものの、食器・調理器具・布団(全然足りない)・冷蔵庫は一から買い直さないとダメであることが確定し、工事予算が一段とキツクなりました。


(2) 備品調達大作戦

 前述の通り、買わなければならない備品は大別すると、
 @ 食器・調理器具
 A 布団
 B 冷蔵庫
の3点でした(資料K:調達備品一覧表)。これらは、

@食器・調理器具は、現在川西市にお住まいの黒沢(旧姓、渡辺)さんにお知り合いの問屋を紹介してもらい、主婦の目でモノを選んで頂いた他、植田君の実家からもダンボール箱何箱もの寄付を頂き、他にもあちこちからお持ち寄り頂けたため、今や足りないのは電子レンジとマグカップのみとなりました。

A布団は赤沢君の親戚が群馬で布団店をやっているので、無理をお願いして格安で得ってもらいました。新白嶺荘での一泊目の時、しみじみと思いました。「やはり布団は新品がいい!」

B冷蔵庫は、小屋が輸入住宅でもあることだし、最初から当時流行っていたコジマのGEの大型冷蔵庫にするつもりでした。困ったのは小屋が配達区域に入っていないことで、これは結局、江守君が長野まで往復して運んでくれることになりました。

 以上、これ以外にもたくさんの方々にご厄介をお掛けしました。誠にありがとうございました。


(3) 備品搬入

 11月にもなると小屋も大方出来上がり、完成が待ち遠しくなります。

 しかし実態は工期が延期に次ぐ延期で、気が付いたら12月の竣工披露パーティーまでに本当に間に合うのか、そろそろ心配になってきました。

 案の定、植木さんの「絶対大丈夫」の一声を信じ備品搬入は11月最終週に決め、人手集め等段取りを終えたものの、当日になって「一週間延期」。

 それでも、モンモンから預けた備品を動かして欲しいと言われていたのでOB何人かと出掛けてみたところ、内装の仕上がりはまだまだ完成にはほど遠く、敷地には資材が至る所山積み。おまけに雪まで積もっていて、本当に1週間で仕上がるのか泣きたい気持ちでした。

 そして翌週。金曜は会社も休み、何がなんでも搬入を終える覚悟で小屋へ向かいました。行くと野口君が泊込みでまっていてくれ、まだ工事の続きをしてました。一瞬「ダメかな?」とは思ったものの、中に入ってみるとまずまずの出来栄えでこれなら大丈夫そう。かくして竣工披露パーティーの1週間前に小屋の備品搬入は無事終えることが出来ました。


5. 最後に
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 今回の再建計画では山口・大園両先生を始め、たくさんの方々のご厚意とご尽力に支えられてきました。また、自分の能力不足。怠慢のため、周りにご迷惑をお掛けしたこともしょっちゅうだったと思います。皆さん、ご協力ありがとうございました。

 新しく出来た小屋は、現役の活動の拠点であることはもちろんのことですが、われわれOBにとっても共通の思い出の場、またいつでも行ける行けば誰かが居る、そんな集いの場で合って欲しいと思います。


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